又吉 直樹(またよし なおき、1980年6月2日 - )は、日本のお笑いタレント、小説家である。お笑いコンビ・ピースのボケ擔當。第153回芥川龍之介賞受賞作家。 大阪府寢屋川市出身。 吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子會社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所屬。 大阪府寢屋川市で、4歳年上と3歳年上の姉の下に生まれる。父は沖縄県、母は奄美群島・加計呂麻島の出身。比較的貧しい家庭で育ち、家族で焼肉店に食事に行っても「焼肉2枚でお腹一杯だから」と母や祖父が無理をして子供たちに食事を譲り、子供たちもそれを分かっていて親に「お茶漬けでお腹一杯」と食事を譲る、と言った生活をしていた、と本人は語っている。國語の実力テストの偏差値75で全國トップになったことがある。 小學生の頃から(寢屋川市立啓明小學校)サッカーを始め、中學校は寢屋川市立第五中學校に通い、高校時代は関西の強豪である北陽高校(現:関西大學北陽高等學校)サッカー部に所屬。利き足が左足であるため左のウィングバックをやっていた。3年生の時は副キャプテンも務め、また大阪府代表としてインターハイにも出場している。北陽高校の同級生には難波橫山がいた。1999年(平成11年)にNSC東京校の5期生として入學。大阪府出身ながら東京NSCを選んだ理由は、高校サッカー部の監督が吉本興業にも顔の利く人物であり、大學推薦を斷ってお笑いの道を目指していることが判明するのを恐れたためである。 2003年(平成15年)夏まで原偉大と「線香花火」というコンビで活動していたが解散し、その後、同期で仲の良かった綾部祐二とピースを結成し、現在に至る。 2015年(平成27年)自身が書いた小説『火花』で新人小説家の登竜門である芥川賞を受賞した。お笑い芸人での受賞者としては史上初の快挙である。會見では異例づくめで通常15分ほどで終了するところ、メディアからの希望で急きょ又吉のために2度目の會見が開かれ、トータルで2時間ほどの長丁場となった。 同年、GQ Men of the Year 2015を受賞。 元ジューシーズの児玉智洋、パンサーの向井慧と共同生活をしていたことがある。 2016年、4月から日本テレビ系「NEWS ZERO」の月1回の新キャスターに就任。
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又吉 直樹(またよし なおき、1980年6月2日 - )は、日本のお笑いタレント、小説家である。お笑いコンビ・ピースのボケ擔當。第153回芥川龍之介賞受賞作家。 大阪府寢屋川市出身。 吉本興業東京本社(東京吉本、厳密には子會社のよしもとクリエイティブ・エージェンシー)所屬。 大阪府寢屋川市で、4歳年上と3歳年上の姉の下に生まれる。父は沖縄県、母は奄美群島・加計呂麻島の出身。比較的貧しい家庭で育ち、家族で焼肉店に食事に行っても「焼肉2枚でお腹一杯だから」と母や祖父が無理をして子供たちに食事を譲り、子供たちもそれを分かっていて親に「お茶漬けでお腹一杯」と食事を譲る、と言った生活をしていた、と本人は語っている。國語の実力テストの偏差値75で全國トップになったことがある。 小學生の頃から(寢屋川市立啓明小學校)サッカーを始め、中學校は寢屋川市立第五中學校に通い、高校時代は関西の強豪である北陽高校(現:関西大學北陽高等學校)サッカー部に所屬。利き足が左足であるため左のウィングバックをやっていた。3年生の時は副キャプテンも務め、また大阪府代表としてインターハイにも出場している。北陽高校の同級生には難波橫山がいた。1999年(平成11年)にNSC東京校の5期生として入學。大阪府出身ながら東京NSCを選んだ理由は、高校サッカー部の監督が吉本興業にも顔の利く人物であり、大學推薦を斷ってお笑いの道を目指していることが判明するのを恐れたためである。 2003年(平成15年)夏まで原偉大と「線香花火」というコンビで活動していたが解散し、その後、同期で仲の良かった綾部祐二とピースを結成し、現在に至る。 2015年(平成27年)自身が書いた小説『火花』で新人小説家の登竜門である芥川賞を受賞した。お笑い芸人での受賞者としては史上初の快挙である。會見では異例づくめで通常15分ほどで終了するところ、メディアからの希望で急きょ又吉のために2度目の會見が開かれ、トータルで2時間ほどの長丁場となった。 同年、GQ Men of the Year 2015を受賞。 元ジューシーズの児玉智洋、パンサーの向井慧と共同生活をしていたことがある。 2016年、4月から日本テレビ系「NEWS ZERO」の月1回の新キャスターに就任。