岩重孝
いわしげ孝, Iwashige Takashi

生日:1954-12-31
年齡:70
性別:
身高: cm
デビューから十數年は本名の岩重孝(読みは同じ)で活動していた 高校時代の1970年に、『週刊少年ジャンプ』(集英社)の第5回新人漫畫賞で「小さな命」が入選、審査員である本宮ひろ志から「彼の作品は生命が感じられるね」と評価された。この作品が翌1971年の同誌正月號に掲載され、デビューを果たす。 當時のいわしげは意欲的に漫畫を描いており、同じ年に「スクラップ」も同誌の上期手塚賞で佳作に選ばれたほか、続く下期手塚賞でも「ブルースを歌う少女」が佳作に選ばれている。ただ、當時まだ高校生だったいわしげは、絵柄の荒々しさなど漫畫の技術に未熟さを感じていたという。以降しばらくは學業に専念する。 高校卒業後、大學入學のために上京、書店でアルバイトをする傍ら漫畫を描いた。 大學卒業後、『ビッグコミック』(小學館)に投稿を開始する。1978年に「忘れ雪」が第2回小學館新人コミック賞に選ばれ、本格的にデビューする[1]。 1980年夏、『ビッグコミック』の縁ではるき悅巳と知り合い、そのアシスタントとなる。同期にさかもと瓢作(坂本瓢作)がおり、はるきの作品である『じゃりン子チエ』の補助作業もさかもとと共に行った。並行していわしげは『ぼっけもん』を『ビッグコミックスピリッツ』で連載し、同作は1986年に第31回小學館漫畫賞に選ばれている。 1988年から『ビッグコミックスピリッツ』にて『ジパング少年』を連載、同時にペンネームを本名の岩重孝からいわしげ孝に変更した。  以降は『週刊ヤングサンデー』『ビッグコミックスペリオール』(共に小學館)に移り、『花マル伝』などを連載した。その後『モーニング』(講談社)での『まっすぐな道でさみしい』の連載などを経て、『ビッグコミック』にて『単身花日』を2006年から2008年4月まで連載、同年のうちに引き続き同誌にて『上京花日』の連載を開始した。 2013年3月6日、病気のために死去した[2][4]。58歳沒。遺作となった『上京花日』は、2010年より病気療養に入って休載し、2011年秋にいったん再開したものの、未完のまま2012年2月25日號掲載分が絶筆となった[2]。
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デビューから十數年は本名の岩重孝(読みは同じ)で活動していた 高校時代の1970年に、『週刊少年ジャンプ』(集英社)の第5回新人漫畫賞で「小さな命」が入選、審査員である本宮ひろ志から「彼の作品は生命が感じられるね」と評価された。この作品が翌1971年の同誌正月號に掲載され、デビューを果たす。 當時のいわしげは意欲的に漫畫を描いており、同じ年に「スクラップ」も同誌の上期手塚賞で佳作に選ばれたほか、続く下期手塚賞でも「ブルースを歌う少女」が佳作に選ばれている。ただ、當時まだ高校生だったいわしげは、絵柄の荒々しさなど漫畫の技術に未熟さを感じていたという。以降しばらくは學業に専念する。 高校卒業後、大學入學のために上京、書店でアルバイトをする傍ら漫畫を描いた。 大學卒業後、『ビッグコミック』(小學館)に投稿を開始する。1978年に「忘れ雪」が第2回小學館新人コミック賞に選ばれ、本格的にデビューする[1]。 1980年夏、『ビッグコミック』の縁ではるき悅巳と知り合い、そのアシスタントとなる。同期にさかもと瓢作(坂本瓢作)がおり、はるきの作品である『じゃりン子チエ』の補助作業もさかもとと共に行った。並行していわしげは『ぼっけもん』を『ビッグコミックスピリッツ』で連載し、同作は1986年に第31回小學館漫畫賞に選ばれている。 1988年から『ビッグコミックスピリッツ』にて『ジパング少年』を連載、同時にペンネームを本名の岩重孝からいわしげ孝に変更した。  以降は『週刊ヤングサンデー』『ビッグコミックスペリオール』(共に小學館)に移り、『花マル伝』などを連載した。その後『モーニング』(講談社)での『まっすぐな道でさみしい』の連載などを経て、『ビッグコミック』にて『単身花日』を2006年から2008年4月まで連載、同年のうちに引き続き同誌にて『上京花日』の連載を開始した。 2013年3月6日、病気のために死去した[2][4]。58歳沒。遺作となった『上京花日』は、2010年より病気療養に入って休載し、2011年秋にいったん再開したものの、未完のまま2012年2月25日號掲載分が絶筆となった[2]。
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