僕は小夜左文字。西行法師の歌から名付けられたんだ。 ……でも、僕が見いだされる事になった原因はそんな綺麗なものじゃない。血と怨念にまみれた、復讐劇だよ…… 西行法師の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」という歌から名付けられた。 持ち主である細川幽斎が、命の次に大事なこの刀に西行の歌の下の句にかけて命名したと言われる。 彼が見いだされることになったドラマチックなエピソードがある。本人いわく復讐劇らしいが。 桃山時代、日坂に居住していた浪人夫婦。夫が病で亡くなってしまう。幼児を抱えて殘された妻は、生活の資金にと夫が秘蔵していた筑州左文字の短刀を売りに出かける途中で何者かに切り殺され、短刀を奪われてしまう。 殘された子供はすくすくと育つ。なんとしても母の敵を討ちたいと願うが、手がかりは父のものだったという短刀のみである。「そうだ!研師のところにいればこの短刀に出會える機會があるんじゃないかな?!」そう思いついた子供は掛川の研師に弟子入りすることにした。 月日が経ったある日、一人の浪人が研ぎを頼むと短刀を持ってくる。立派な弟子となったかつての子供が莖を改めたところ、なんと表裏に筑州住 左という銘が。そこで色々とかまをかけると、浪人は入手の経緯をべらべらとしゃべってしまう。弟子はこの浪人こそ仇に違いないと確信し「盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し、此処であったが百年目」と左文字の短刀を浪人の腹に突っ込み見事仇を討つことが出來た。めでたしめでたし。 このことを聞き知った掛川城主山內一豊は「稀有な事である」と弟子を召しだし家臣とした。同時に左文字の短刀も上納させ秘蔵。 その後短刀は細川藤孝幽斎の懇望により細川家に入り、小夜左文字と名を改めたそうな。 その後も持ち主を転々とし、現在は重要文化財の指定を受けている。 長さは8寸5厘(約24cm)。大振りで重ねが厚い。
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僕は小夜左文字。西行法師の歌から名付けられたんだ。 ……でも、僕が見いだされる事になった原因はそんな綺麗なものじゃない。血と怨念にまみれた、復讐劇だよ…… 西行法師の「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山」という歌から名付けられた。 持ち主である細川幽斎が、命の次に大事なこの刀に西行の歌の下の句にかけて命名したと言われる。 彼が見いだされることになったドラマチックなエピソードがある。本人いわく復讐劇らしいが。 桃山時代、日坂に居住していた浪人夫婦。夫が病で亡くなってしまう。幼児を抱えて殘された妻は、生活の資金にと夫が秘蔵していた筑州左文字の短刀を売りに出かける途中で何者かに切り殺され、短刀を奪われてしまう。 殘された子供はすくすくと育つ。なんとしても母の敵を討ちたいと願うが、手がかりは父のものだったという短刀のみである。「そうだ!研師のところにいればこの短刀に出會える機會があるんじゃないかな?!」そう思いついた子供は掛川の研師に弟子入りすることにした。 月日が経ったある日、一人の浪人が研ぎを頼むと短刀を持ってくる。立派な弟子となったかつての子供が莖を改めたところ、なんと表裏に筑州住 左という銘が。そこで色々とかまをかけると、浪人は入手の経緯をべらべらとしゃべってしまう。弟子はこの浪人こそ仇に違いないと確信し「盲亀の浮木、優曇華の花待ちたること久し、此処であったが百年目」と左文字の短刀を浪人の腹に突っ込み見事仇を討つことが出來た。めでたしめでたし。 このことを聞き知った掛川城主山內一豊は「稀有な事である」と弟子を召しだし家臣とした。同時に左文字の短刀も上納させ秘蔵。 その後短刀は細川藤孝幽斎の懇望により細川家に入り、小夜左文字と名を改めたそうな。 その後も持ち主を転々とし、現在は重要文化財の指定を受けている。 長さは8寸5厘(約24cm)。大振りで重ねが厚い。
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