生日:1926-09-25
年齡:
性別:女
身高: cm
青葉です。トラック諸島方面へ進出して、 中部太平洋作戦を支えました。 従軍作家さんも乗り込んで青葉のスタッフの仕事ぶり を取材したことも。最期の時は、呉の港で。 動かす油もなかったけど、青葉、頑張りました! 青葉(あおば/あほば)は、日本海軍の青葉型重巡洋艦1番艦。三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で建造された。 太平洋戦爭開戦以前は日中戦爭に出動し、上海上陸作戦の支援などを行っている。 1938年11月~1940年10月まで改裝工事を行い、主砲の口徑を20.3cmに変更。開戦後は南洋部隊に所屬し、トラック諸島方面へ進出、グアム島攻略作戦など中部太平洋の作戦に參加した。1942年2月には海軍従軍作家海野十三が乗艦し、將兵の生活を従軍記にまとめている。海野は青葉將兵の勤務態度に強い感銘を受けると同時に、居住環境の悪さについても言及している。 1942年5月の珊瑚海海戦、8月7日夜の第一次ソロモン海戦に參加。魚雷発射管への被弾で小火災が発生するが、大事には至らなかった。10月11日、ガダルカナル島砲撃に向った際、迎撃してきた米艦隊との間にサボ島沖海戦が勃発する。「青葉」は米艦隊のレーダー射撃により、二番砲塔・三番砲塔被弾全滅、別の1発が艦橋正面右舷よりから貫通し、第6戦隊司令の五藤少將と副長が戦死という損害を受ける。面舵をとって右に回頭したところさらに複數弾が命中、不発弾が多く、修理時に検分した造船士官は仮に全砲弾が炸裂していれば沈んでいたと述べている。大破した「青葉」は、翌年2月まで呉海軍工廠で修理を受けた。 修理後、ソロモン方面へ進出したが、4月3日にメウエパセージ港にて米軍機の爆撃を受け爆弾1、至近弾多數を受けて魚雷が誘爆し大破、近くの淺瀬に擱座してかろうじて沈沒を免れた。現地での排水作業に1カ月を掛けて浮揚し、それから「川內」に曳航されてトラックへ帰着した。ここで機関2軸を整備し自力で8月1日に呉へ帰港、11月24日まで再び修理に従事した。 修理完了後は第一南遣艦隊に所屬しシンガポールへ進出、同方面で輸送任務に従事した。レイテ沖海戦では當初、日本軍第一遊撃部隊(通稱栗田艦隊)に所屬していたが、第二遊撃部隊に編成替えとなり、第十六戦隊旗艦として後方での兵員輸送を命じられた。1944年10月23日 ルソン島西方で米潛水艦ブリーム (USS Bream, SS-243) の雷撃を受け大破。右舷前部機械室への魚雷命中により右に13度傾斜した。「青葉」はこの狀態で軽巡洋艦鬼怒に曳航され、マニラ灣に入港。その翌日にも米軍の空母艦載機による攻撃を受けた。同地での応急修理により5ノットの航行が可能となり、11月6日にサンタクルーズを出港、12月12日にかろうじて呉軍港に帰投した。
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青葉です。トラック諸島方面へ進出して、 中部太平洋作戦を支えました。 従軍作家さんも乗り込んで青葉のスタッフの仕事ぶり を取材したことも。最期の時は、呉の港で。 動かす油もなかったけど、青葉、頑張りました! 青葉(あおば/あほば)は、日本海軍の青葉型重巡洋艦1番艦。三菱造船長崎造船所(現・三菱重工長崎造船所)で建造された。 太平洋戦爭開戦以前は日中戦爭に出動し、上海上陸作戦の支援などを行っている。 1938年11月~1940年10月まで改裝工事を行い、主砲の口徑を20.3cmに変更。開戦後は南洋部隊に所屬し、トラック諸島方面へ進出、グアム島攻略作戦など中部太平洋の作戦に參加した。1942年2月には海軍従軍作家海野十三が乗艦し、將兵の生活を従軍記にまとめている。海野は青葉將兵の勤務態度に強い感銘を受けると同時に、居住環境の悪さについても言及している。 1942年5月の珊瑚海海戦、8月7日夜の第一次ソロモン海戦に參加。魚雷発射管への被弾で小火災が発生するが、大事には至らなかった。10月11日、ガダルカナル島砲撃に向った際、迎撃してきた米艦隊との間にサボ島沖海戦が勃発する。「青葉」は米艦隊のレーダー射撃により、二番砲塔・三番砲塔被弾全滅、別の1発が艦橋正面右舷よりから貫通し、第6戦隊司令の五藤少將と副長が戦死という損害を受ける。面舵をとって右に回頭したところさらに複數弾が命中、不発弾が多く、修理時に検分した造船士官は仮に全砲弾が炸裂していれば沈んでいたと述べている。大破した「青葉」は、翌年2月まで呉海軍工廠で修理を受けた。 修理後、ソロモン方面へ進出したが、4月3日にメウエパセージ港にて米軍機の爆撃を受け爆弾1、至近弾多數を受けて魚雷が誘爆し大破、近くの淺瀬に擱座してかろうじて沈沒を免れた。現地での排水作業に1カ月を掛けて浮揚し、それから「川內」に曳航されてトラックへ帰着した。ここで機関2軸を整備し自力で8月1日に呉へ帰港、11月24日まで再び修理に従事した。 修理完了後は第一南遣艦隊に所屬しシンガポールへ進出、同方面で輸送任務に従事した。レイテ沖海戦では當初、日本軍第一遊撃部隊(通稱栗田艦隊)に所屬していたが、第二遊撃部隊に編成替えとなり、第十六戦隊旗艦として後方での兵員輸送を命じられた。1944年10月23日 ルソン島西方で米潛水艦ブリーム (USS Bream, SS-243) の雷撃を受け大破。右舷前部機械室への魚雷命中により右に13度傾斜した。「青葉」はこの狀態で軽巡洋艦鬼怒に曳航され、マニラ灣に入港。その翌日にも米軍の空母艦載機による攻撃を受けた。同地での応急修理により5ノットの航行が可能となり、11月6日にサンタクルーズを出港、12月12日にかろうじて呉軍港に帰投した。
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